名古屋高等裁判所 昭和58年(ネ)220号 判決 1988年3月30日
第二二〇号事件控訴人兼第一八七号事件被控訴人
(第一審原告)
井上冨士子
右訴訟代理人弁護士
石坂俊雄
同
村田正人
同
松葉謙三
同
福井正明
同
伊藤誠基
同
赤塚宋一
同
中村亀雄
同
川嶋冨士雄
同
水野幹男
同
斉藤洋
同
冨田武生
同
良原栄三
同
石川憲彦
同
山田幸彦
同
富永俊造
同
山田万里子
同
花田啓一
第一八七号事件控訴人兼第二二〇号事件被控訴人
(第一審被告日本電信電話公社訴訟承継人=以下第一審被告という)
日本電信電話株式会社
右代表者代表取締役
真藤恒
右訴訟代理人支配人
井深次郎
右訴訟代理人弁護士
片山欽司
同
入谷正章
右指定代理人
森谷弘次
同
林正弘
同
森島透
主文
第一審被告の本件控訴を棄却する。第一審原告の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。
第一審被告は第一審原告に対し、金一五〇万円及び内金一二五万円に対する昭和五一年五月二七日から、内金二五万円に対する本裁判確定の日の翌日から、各支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。
第一審原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じ、これを七分し、その一を第一審被告の、その余を第一審原告の、各負担とする。
本判決は第一審原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 第一審原告
(一) 第二二〇号事件について
原判決中、第一審原告敗訴部分を取消す。
第一審被告は第一審原告に対し金八八〇万円及びこれに対する昭和五一年五月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。
仮執行宣言。
(二) 第一八七号事件について
本件控訴を棄却する。
控訴費用は第一審被告の負担とする。
二 第一審被告
(一) 第一八七号事件について
原判決中、第一審被告敗訴部分を取消す。
第一審原告の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。
(二) 第二二〇号事件について
本件控訴を棄却する。
控訴費用は第一審原告の負担とする。
第二 当事者の主張
当事者双方の事実上、法律上の主張は、以下に付加、訂正するほか、原判決の事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。
一 原判決三枚目裏四行目から七行目までを次のように改める。
「(一) 第一審被告は、当初の電気通信省から、昭和二七年八月一日公衆電気通信業務及びこれに付帯する業務その他を目的とする日本電信電話公社(以下公社)として設立されたが、公社は、同六〇年四月一日日本電信電話株式会社法による第一審被告の成立に伴つて解散し、その一切の権利義務は、国内電気通信事業を経営することを目的とする第一審被告に承継された。」
二 同二九枚目裏一〇行目の「四八」を「五〇」に、同三九枚目表八行目の作業環管理方法」を「作業環境管理方法」に、それぞれ改める。
三 同四九枚目表四行目から同裏一行目まで、及び同二行目の「ところで、」をそれぞれ削り、同行の「(二)」を「(一)」に、同五〇枚目表一〇行目「(三)」を「(二)」に、同五一枚目裏二行目の「(四)」を「(三)」に、それぞれ改める。
四 第一審原告の主張
1 熊野局における電話交換手の健康破壊は、昭和三四年頃より始まつていた。
(一) 熊野局においては昭和三四年自動改式実施前における自局電話加入者数は、五〇〇余りであり、既にこの数で同局における交換業務は繁忙を極めていた。
(二) また熊野局は昭和三四年頃は熊野市大本町関船町に旧局舎があつたが、旧局舎の現場は劣悪で病気休暇をとる者が多かつた。即ち、同年頃から交換手の中で頭痛、腰痛を訴える人が多くなり病休が増えたため、組合は二日以内の病欠には診断書の提出がなくても病休を認めるよう要求し(同年二月二五日交渉)、右交渉は、同年七月七日合意に達した。右措置が第一審原告を含む多数の交換手が身体の変調を訴え、欠務者が増加したためとられたことからすれば、第一審原告の二日以内の病休もおのずから電話交換業務に起因すると推認することができる。
(三) 右のような事実からすれば、熊野局においては昭和三四年七月一二日の自動改式実施前から既に多数の交換手が繁忙のため健康を害し、頭痛、腰痛等のため二日以内の休暇をしばしば取らざるを得ない事態に至つていたのである。
2 公社は、昭和二八年から五年か年計画を実施した。
(一) 第一次の五か年計画の概要は次のとおりである。
① 資金 二七七二億円
② 加入電話増設 一〇八万六〇〇〇個
③ 公衆電話増設 四万五七一九個
(二) 第一次五か年計画の成功により公社は昭和三三年度から第二次五か年計画を実施し、その計画の概要は次のとおりであり、第一次と比べると加入電話の増設は倍になつている。
① 資金 六二〇〇億円
② 加入電話増設 二一四万三〇〇〇個
③ 公衆電話増設 一〇万一七〇七個
(三) 第三次五か年計画は、昭和三八年度から実施され、資金一兆八二五二億円となり、第二次計画と比べると二倍以上で、はじめて資金も兆の台に達した。その概要は次のとおりである。
① 加入電話増設 五一〇万九〇〇〇個
② 公衆電話増設 一五万九〇三一個
(四) 第四次五か年計画は、昭和四三年度からスタートし、その規模は次のとおりである。
① 資金 三兆五二〇〇億円
② 加入電話増設
一一〇一万一〇〇〇個
③ 公衆電話増設 二一万九九七〇個
この第四次計画は、実施二年にして、規模が過少であるということになり、当時の郵政相河本敏夫が、米澤総裁に緊急増設を要望し、同四五・六年度に一〇〇万個の加入電話を計画のワク外として増設することにした。そのため、第四次五か年計画の後半三年は、計画どおり実施することが不適当となり、第四次五か年計画は当初計画の加入電話増設九三〇万個より一七〇万個も増加したのである。
そこで、公社は、第四次五か年計画の同四六・七年両年度と同四八年度からはじまる第五次五か年計画とを合わせた七か年計画をたてるに及んだのである。
① 資金 八兆五〇〇〇億円
② 加入電話増設 一九七〇万個
③ 事業所集団電話 四四万個
④ 地域集団電話 七三万個
⑤ 公衆電話増設 二八万個
(五) 右のことからして明らかなとおり、第一次計画から計画ごとに加入電話は倍倍ゲームで増加しているのである。
(六) ところが、公社は、右のごとく、資金的にも加入電話増設についても倍倍ゲームで増加しているのにもかかわらず、それに対応する交換手は削減し増員しないとの極めて労働者に過酷な合理化方針をとつたのである。即ち、公社は昭和三三年度からはじまる累次の五か年計画を推進するに際して次のような合理化諸施策を実施した。
交換要員(電話交換手)を徹底して抑制した。公社は、全国自動即時化が完成するまでは取扱量が増大しても交換手は増員しないという方針を堅持した。右の方針を貫くために相次いで交換手の労働条件を切り下げ、電話交換部門に集中して労務管理を強化した。
以上のような「合理化」諸施策の結果として、同四二年頃より本症の罹患者が全国的に出現するに至り、一〇人に一人という多数の頸肩腕障害者を発生せしめたのである。第一審原告の職場である熊野局も、以上のような全国的傾向から無縁ではありえず、公社の「合理化」の矛盾が最も端的に表れた職場の一つであつた。
3 頸肩腕障害は、昭和四八年をピークに患者が激減している。即ち、同年当時二六五〇名いた患者が二年後の同五〇年には半分になり、五年後の同五三年には一〇分の一に減少しているのである。このように激減した理由は、公社がおくればせながら同四七年以降に至り、ようやく電話運用部門における頸肩腕障害の要因が、健康管理・作業態様・作業管理方法・作業環境等の複合的なものであるとの立場から、予防対策として前記(原判決引用)のような改善措置を取つたからである。
このような公社の対応と頸肩腕障害患者の激減は、まず、健康管理面についての対策を同四七年からはじめ、次に同四八年から交換台の改善やヘッドホーンの改善等の作業方法・作業態様の改善をなし、同四九年には一連続作業時間を六〇分にして、同五〇年からは背面パトロールの中止等の労務管理の改善をなした結果であることは明白である。
4(一) 電話交換手の頸肩腕障害は、電話交換業務を独占している公社において、昭和三〇年代から同四〇年代にかけて大量に発生した疾病である。公社の電話交換手という職業的限局性をもちつつ、集団的に大量発生した同疾病は、個個の患者の臨床症状や病理所見のみの検討を行うにすぎない従来の臨床医学や病理学の側面からの検討によつては、その病像を正確にとらえることもできないし、その病因を正確に把握することもできないものである。
(二) 公社の電話交換手に大量発生した交換手病ともいうべき「電話交換手の頸肩腕障害」の病像や病因は疫学によつて初めて正しくとらえることができるものである。第一審原告が罹患した頸肩腕障害は、右の疫学的因果関係に照してみた場合、その因果関係は明白である。
第一審原告の症状は頸肩腕障害の特徴を表わしており、他の者の症状と同じである。電話交換手における頸肩腕障害の特徴は頸・肩・腕の個個の局所症状についての訴えが高いものがみられるが、むしろ、全身症状あるいは日常生活の不便・苦痛としての訴えが強く、特に精神・神経的負担によると考えられる項目も含めて全身疲労の強いことと、椅坐位作業であるのにもかかわらず、腰・下肢の症状が強いことであると医学的調査研究の結果から指摘されている。右のような指摘からすれば、電話交換手の頸肩腕障害は頸・肩・腕の痛みやだるさに加えて、体のだるさ、いらいら感、めまい、たちくらみなどの全身疲労感や目のつかれ、耳鳴りなどのいわゆる自律神経失調症状を呈するのが特徴であることを示しているのである。
同三八年ごろから、第一審原告にあらわれている肩こりに加えて、頭痛、胃痛、目の疲れ、吐気、下肢しびれ・腫脹、耳鳴り等の症状は、電話交換手の健康障害の特徴を表わしているものであり、頸肩腕障害の前駆症状であることは明らかである。
また、同四三年に起立性低血圧症、血管運動神経障害(いずれも自律神経失調症症状である)などという症病名がつけられているのは、当時第一審原告を見た医師が電話交換手の健康障害の特徴を知らなかつたため、その症状になんらかの診断名をつけなければならないと考え、自己の知つている診断名をつけたのにすぎない。
公社は第一審原告と他の者の症状があたかも違うかの如く主張しているが、同四一年以降の第一審原告の症状は原判決添付別表5により明らかなとおり、公社より業務上と認定された須崎ちえ子、下川京子、弓場宏子、大西いほ子とほぼ同一の症状である。第一審原告以外の者に、自律神経失調症状が右表に多数記載していないのは、そのような症状がなかつたからではなく、そのような症状を訴えていたが、自己申告書に記載されていなかつたからにすぎない。
5 第一審原告のX線所見(変形性頸椎症)と症状の間には関連性がない。加齢現象による頸椎の変形は人間が「老」というさけられない宿命を背負つている以上誰にでも現われてくる現象である。
第一審原告の頸椎の変性は年とともに進行し、変性自体はますますひどくなつている。昭和四七年のX線写真よりも、同四九年のもの、現在のものとX線上の所見は進行しているのである。第一審原告の症状が頸椎の変性に由来するものであれば、変性の進行するにつれて、症状はますます増悪し顕著となるはずであるにもかかわらず、第一審原告の疾病はこれに反して軽快の一途をたどつているのである。即ち、第一審原告の症状とX線所見とは全く関連性がない。このことこそ同四九年二月以降の第一審原告の症状が変形性頸椎症でないことの何よりの証拠である。また、首の骨の加齢的変化があつた場合でもそれに相応する症状が必ず出るというものではない。従つて、痛いという訴えのない人でもX線所見だけはあるという場合がよくみられるもので、第一審原告ぐらいの首の変化では症状の出ない人はいくらでもいるのである。更に、変形性頸椎症というのは、X線写真の状況を見ても決められないことを当然の前提として、その現れてくる症状は変形性頸椎症と頸肩腕障害とは非常によく似ている。右のことからすれば、結局変形性頸椎症であるか、職業性の頸肩腕障害であるかということは、X線上の所見からもホフマン反射からも臨床症状からも、その決め手となるようなものは皆無であるといわざるを得ない。しかも、変形性頸椎症でも業務に起因するものがある。
さすれば、第一審原告の症状が加齢現象による変形性頸椎症なのか、業務に起因する変形性頸椎症なのか、はたまた、業務に起因する頸肩腕障害なのかを決めるものは、仕事との関係を十分に分析する以外には、その方法が存在しないことは明らかである。
6 労働省の通達五九号は、既に一〇年以上も前に作られたしろものであり、しかも医学的な立場からすると大変不十分なものでしかない。その問題点は次のとおりである。
右通達は、「頸肩腕症候群」について、『種々の機序により後頭部、頭部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり「こり」「しびれ」「いたみ」などの不快感をおぼえ、他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛及び緊張もしくは硬結を認め、ときには神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全などの症状を伴うことのある症状群』と規定している。また、通達は、本症を上肢を主とする運動器系の障害として捉えているが、多くの症例報告は、本疾病の内容は「運動器系のみでなく、神経系統(中枢、末梢)、自律神経失調症神経系、感覚器系、循環器系の障害を伴う」(昭和四八年度日本産業衛生学会「頸肩腕症候群」委員会報告)ものであり、「腰、下肢の症状が含まれることがあり」、「知覚障害の発現も必ずしも神経支配に一致しない」ことを認めている。このように、本疾病を単なる運動器系の障害とみなし、全身的広がりをもつ疾病と認めない通達の考え方は実態に合わないものであり、この疾病の定義は改正されるべきである。また、作業者の労働負担として、「筋労作」のみをあげ、精神、神経、感覚器の機能におよぼす負担について触れられていないことは、妥当でない。
その他、右通達が、業務起因性を証明する最大の要因として業務量を挙げ、同種労働者ないし通常の業務量との比較を要件とし、或いは、他の疾病の症状、所見のないことを必要条件とし、更には、適切な治療を行えば概ね三か月程度で症状が消褪する等としているのも不相当であつて、改正さるべきである。
7 労働災害を原因とする損害賠償裁判において、安全保護義務違反の内容を特定し、かつ、義務違反に該当する事実を主張立証する責任が、原被告のいずれにあるかは大きな問題である。
第一審被告の援用する昭和五六・二・一六の最高裁判決は、航空自衛隊ヘリコプターの墜落という災害の事故による損害賠償事件に関する判示である。職業病は右の災害性の事故や労働災害のように一時的なものとは異なり、業務による有害作用が長期間継続蓄積されて発病に至るものである。このため、有害作用が加わつた時期が明確でないことが多く、作業環境、作業態様についても長期間の事実が問題となるので労働者の立証上の困難は大きい。これらの主張立証の責任は、危険有害業務の内容を熟知し、しかも被害発生を防止しうる立場にある使用者にこそ負わせるべきものである。
裁判例(原判決を含む)には「一応の推定」の法理を用いて、この問題に解決を与えたものがある。過失の「一応の推定」とは、経験則の適用による事実上の推定であり、本来の立証責任を転換させるものではない。しかし、過失の「一応の推定」が働く場合には、過失事実の抽象的・不特定的認定が許容されるので、被害者側で具体的な義務違反を詳細に主張する必要はないこと、被害者において加害者の抽象的・不特定的過失を推認させる一定の事情を立証すれば、この推認を打ち破るために加害者側でこの過失の推認を妨げる具体的な特段の事情を証明しなければならなくなることから、実際には立証責任が転換されたのと同様の結果になる。この法理は元来不法行為法で用いられてきたものであり、不完全履行たる債務不履行にも適用があるから、前掲最高裁判決のもとでも維持されるものである。従つて、「一応の推定」の法理は何ら最高裁判決に抵触しない。
8 そもそも使用者は、職業性の疾病の発生ないしその増悪を防止すべき安全配慮義務を負つている。業務に起因して病気になるのは、使用者が職業病予防義務を怠つていたためと考えるのは経験則に合致する。
ところで、職業病に関して使用者の負うべき安全配慮義務の内容は、一般的には「個々の労働者の素因等があつても、労働が何らかの影響を与えて疾病の発病、増悪をきたさないように、予防、早期発見、治療等の万全の措置を講ずべき義務である」というべきである。
安全配慮義務の具体的内容は、当該労働者のおかれた具体的条件によつて異なるものであるといわざるをえないが、公社における電話交換手の健康障害(頸肩腕障害)を問題としている本件について、公社の負うべき安全配慮義務の具体的内容は、公社が昭和四九年以降、頸肩腕障害対象として実施した諸施策、即ち、
① 電話交換要員の増加
② 健康管理対策
③ 作業方法の改善
④ 業務管理の改善
⑤ 環境の改善
の諸施策を頸肩腕障害患者の多発する以前に、即ち、同三九年ころに(遅くとも同四五年前後に)、実施すべき義務である。けだし、公社が同四七年一二月に健康管理対策として頸肩腕障害の定期的検診をなし、同四八年一二月に初期症状対策を講じ、作業方法の改善として交換台の改善策を行うと、同四九年の第二・四半期に新規罹患者は激減し、更に同四九年一二月に、健康管理対策として機能回復のための体操時間の新設、作業方法の改善として連着時間を六〇分に短縮する(これは連着時間を短縮した分だけ要員を増加したことを示す)と、同五〇年の第一・四半期にはまた新規罹患者は激減しているのである。右改善等が早期に実施されていれば、公社内で電話交換手が頸肩腕障害に罹患して七〇〇〇人にも及ぶ患者が出るということもなかつたし、第一審原告が頸肩腕障害に罹患し、それを増悪させることもなかつたものである。
9 公社には、予防責任、増悪防止責任がある。即ち、公社は、交換取扱業務を行う労働者に対して、労働安全衛生法規及び公社の健康管理規程所定の健康診断、諸検査、諸措置を実施し、その結果必要があると認めるときは適宜の処置をとるべき責任があつた。ところが公社は昭和四三年健康管理規程を改定するなどし、同四八、九年まで感覚器、循環器、呼吸器、消化器、神経系等に対する検査を全く行つていなかつた。公社が労働安全衛生法規及び健康管理規程に則して健康管理をし、健康診断を適切に行つておれば、同三九年当時において頸肩腕症候群の多発を予見し得た筈であり、公社の前記のような債務(安全配慮義務)が同四二年ころまでに履行されておれば、電話交換手における頸肩腕障害の罹患、多発は防止し得たと思われる。同障害が医学的に未解明であつたことは、公社の責任とは関係がない。疾病には医学的に未解明なものが多いが、そのことは過失責任の免責の理由にはならないのであり、疾病が業務と相当因果関係があると認められる以上、たとえ、医学的に未解明であつても、企業はその責任を負わねばならない。
10 予見可能性ありというためには、重篤な健康被害等の発生が指摘されている事実で十分であり(個個の具体的症状の内容や発生機序、原因事実の特定等は必要でない)、結果回避義務を尽したというには、労働者の健康保持のため、あらゆる対策を講ずることが要求されるというべきであるが、本件の電話交換手の健康障害(頸肩腕障害)に関しての予見可能性の具体的内容は、累次に亘る五か年計画を遂行することにより電話交換手の業務量を増加させ、電話交換手に頸、肩、腕の症状を中心とする健康障害が発生することが予見できたということであり、また、結果回避可能性は、前記諸施策の早期実施等、万全の措置をとることによつて電話交換手の健康障害(頸肩腕障害)が生じないようにすることであり、これは「医学的解明」をまたなくてもよい。そして叙上縷説しきたつたところからすれば、公社は、電話交換手に頸肩腕障害が発生することを同三九年当時には、十分予見(認識)し得たものであり、遅くとも同四五年七月には予見のみならず、回避義務が明白であり、新たな罹患者の発生と憎悪を防止し得たものといわねばならない。
五 第一審被告の主張
1 変形性頸椎症について
頸椎は、頸椎骨七個が各上下一対の椎間関節、椎間板、各種靱帯等で結合されているもので、上部は頭蓋、下部は胸椎に連結されている。そして椎間板には多量の水分が含まれている。線維輪よりも髄核の方に多量に含まれている。髄核の水分含有量は、年齢とともに減少する。水分含有量が減少すると、椎間板の弾力性、抵抗性が低下し、椎間板の狭小化が生じ、椎体に骨棘が形成される。
右のような頸部の変性変化により諸症状が発現した場合の疾病名を変形性頸椎症という。変形性頸椎症の症状は複雑で多岐にわたるが神経根症状と脊髄症状の二つが重要であり、これに頸部の疼痛、運動障害等の局所症状と自律神経症状が加わる。これらの諸症状は、単独で現われることもあり、あるいはいくつか合併して現われることもある。
(一) 神経根症状
神経根症状は最も多い症状である。症状の主なものは、頸・肩・腕の疼痛やしびれ感、知覚鈍麻などである。指の運動障害も現われ、ボタンをかけたり、紙幣を数えることなどの巧緻性が低下する。また、手指の筋の萎縮や頸部諸筋の反射性緊張の亢進がさらに痛みを生ずる場合がある。
(二) 脊髄圧迫症状
症状は、上肢においては脱力感、手の巧緻性低下及び知覚異常、下肢においては痙性不全麻痺である。冷感あるいは灼熱感等の知覚異常も特徴的な症状である。
(三) 局所症状
局所症状として、項・頸部、肩甲部の諸筋肉の攣縮や疼痛が生じる場合があり、また頸椎の自・他動運動が疼痛により制限される場合がある。
(四) 自律神経症状
頸椎症患に続発して頭痛、めまい、耳鳴りなどが起こることがある。疼痛は、後頭部にはじまり、次いで側頭部、前頭部ときには上顎にまで放散し、眼痛も起こる。同時にめまい、耳鳴り、悪心を伴うことがある。
変形性頸椎症の診断は、X線検査によつて頸椎に病的所見があり、かつ、それに相関する症状の発現があることである。X線検査による頸椎の病的所見は、初期の変化として生理的前彎が減少・消失し(側面像)、次いで椎間板の狭小化、椎体上・下縁の硬化像(側面像)、椎体前後縁の骨棘形成(側面像)椎間孔の狭小化、鉤状突起と椎間関節突起の変形、骨棘化(斜位・前後像)などの像がみられるものである。
変形性頸椎症と同じような症状が発現するものに頸部捻挫がある。頸部捻挫は頸部が急激に後方に折り曲げられ(頸部の過伸展)その反動で前方にのめる(頸部の過屈曲)ような状態や、その逆に過屈曲、次いで過伸展になるような現象により、頸部を構成している頸椎骨、椎間板、前後靱帯、筋肉、棘間・棘上の諸靱帯、さらに血管、神経などが大なり小なり何らかの損傷を受け、いろいろな症状をひき起す。
初期症状としては、頭痛、頸部痛ことに項部の自発痛、運動痛が大多数を占める。また眼痛、めまい、耳鳴りなど自律神経症状と考えられるものもある。初期症状に継続して、下部頸椎棘突起部の叩打痛、圧痛、項・背筋の緊張、圧痛、さらに上肢の疼痛、しびれ感、脱力感などの頸神経根刺激症状や肩こり、項・背・腰痛の筋肉痛などが起こる。これらの症状は、増悪すると数か月続いたり、本ものの変形性頸椎症に移行することがある。
昭和四七年四月二二日向井医師、同四九年二月二六日中部労災病院小菅医師、同五三年四月一一日向井医師らのX線所見による頸椎のX線像の変化は、前記変形性頸椎症の発生機序と全く同じものであり、年齢的変化による変形性頸椎症と認められるものである。森崎医師の鑑定書及び証言によつても、第一審原告のX線上の頸椎の変化の部位、程度と、向井医師の診療録に記載されている本人の愁訴、他覚的所見、諸検査結果等との間に相関関係が認められる。
2 変形性頸椎症は、頸椎椎間板の変性、骨棘形成によつて脊髄及び神経根に痛みを生じるのであるが、頸椎に加わる頭の重みを軽くすることによつて頸椎椎間板への圧縮力を除けば、神経障害を伴わない疼痛だけになる場合もあつて、頸椎椎間板変性の程度とその症状の多少、強さが必ずしも一致するものではない。第一審原告は、昭和四七年四月から同五〇年一〇月までの約三年七か月間完全休業していたのであり、この間は頸椎が過度に屈伸・回転されない安静の状態であつたわけで、さらに温熱療法等も行つていたのであるから、同四九年当時症状が一時的に軽快していたとしても、それが変形性頸椎症を否定する根拠とはならない。なお、同四七年四月当時は、頸部捻挫に罹患していたのであつて、その急性症状として、疼痛によつて頸椎運動が障害され、諸症状が悪化していた時期であつたのである。整形外科分野における疾病は、休業して運動器官の安静を保つことが症状を軽快させる効果的な療法であつて、特に変形性頸椎症のような頸椎骨の変性変化による疾病については、重い頭部を支えている頸椎の圧迫を防ぐことが必要であり、そのため休業して運動器官である頸椎の安静を保つことを療法としており、それによつて症状を軽快させることができるものである。このように、休業と症状回復、復職と症状悪化の相関関係は、加齢的変形性頸椎症を含め整形外科分野一般にみられるところであるから、この相関関係は何ら業務起因性を判断する要素とはなり得ない。
3 労働省通達の認定基準は、大学教授等斯界の医学的権威者により構成された専門家会議において、整形外科学会と見解を異にする日本産業衛生学会の研究報告も参考にして慎重に検討されたものであり、医学上の研究開発の成果を踏まえて集約的な形での見解を示したものであつて、標準的な見解であり、現在、他にこれに代わる認定基準はないのであるから、損害賠償請求訴訟においても、最も的確で権威のある判断基準となり得るものである。
4 最高裁判所昭五六・二・一六第二小法廷判決(民集三五巻一号五六頁)は、国の国家公務員に対する安全配慮義務違反に基づく債務不履行を理由とする損害賠償請求訴訟における要件事実の特定ないし主張・立証責任が、原告側にあることを明らかにしている。
第一審原告は、本件において公社の安全配慮義務違反を理由に、第一次的には公社の債務不履行責任を、予備的には公社の不法行為責任を主張しているにもかかわらず、公社の安全配慮義務の内容を具体的に特定する必要はないとし、一般的・抽象的な義務の存在を主張すれば十分であるとして抽象的な義務違反の存在を主張するにとどまつている。そのため公社は、前記最高裁判例を引用し、第一審原告に対し再三にわたり、安全配慮義務違反の具体的な内容について、釈明を求め続けてきたのであるが、第一審原告はこの釈明を行わず、このため要件事実ないし重要な間接事実が不明確なままで、公社において防禦権を十分行使できなかつたものである。
5 公社が職員に対して業務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は職員が公社もしくは上司の指示の下に遂行する業務の管理にあたつて、職員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負つていることについては、最高裁判所も判示(第三小法廷判決昭和五〇、二、二五民集二九巻二号一四三頁)するところであるが、その具体的な内容は「職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によつて異なるもの」であるので、安全配慮義務が問題になつているものについては、当該具体的状況の下で公社が当該職員に対して具体的にどのような内容の安全配慮義務を負うのかを確定したうえで公社がそのような義務を尽くしたか否かが検討されるべきである。
そして、その安全配慮義務は、当該職員の疾病の発生以前の段階における発生予防義務と発生後の増悪防止義務がそれぞれ問題となるが、いずれも予見可能性を前提として、予見可能な具体的危険を回避・防止するために必要な措置は何かという観点から決定されるべきであり、かつ、その決定されたところに従つて措置をすれば足りると解すべきである。
企業が負うべき安全配慮義務は、当該職業性の疾病の発生が予見可能であり、その疾病の発生を防止し得る結果回避措置を取り得る可能性があつて、はじめて責任の有無が論じられるものである。従つて、当該疾病の発症要因が業務と関連性があることが医学的に解明されて、はじめてその疾病の発生を防止する具体的な対策が講じられるものであつて、本件でいえば、いわゆる頸肩腕症候群が電話交換手のような上肢作業を行う業務でも発症するということが医学的に解明された段階で、それを防止する具体的な対策を講じることができるようになつたものである。
第一審原告は、広島局における疾病や細川医師らの調査などから、公社は昭和三九年当時に頸肩腕障害の多発を予見できた、と主張しているが、当時いわゆる頸肩腕症候群なるものが疾病として、医学的に解明されていなかつたことは公知の事実であつて、第一審原告の主張には何らの根拠もない。
公社が電話交換業務から頸肩腕症候群が発生することを予見し得たのは、同四八年三月ころであつて、同四七年四月時点においては電話交換業務と頸肩腕症候群との間の業務起因性を予見することはできなかつた。すなわち、同四七年四月時点においては、基発第七二三号通達は当時の最高の医学水準に基づくもので、唯一の権威ある頸肩腕症候群の認定基準とされており、公社も業務上外の判断基準としていたものであるが、右基準によれば、頸肩腕症候群は、キーパンチャー、タイピスト等の手指を過度に使用する作業に起因して発症するものであつて、電話交換業務のような上肢作業に起因して発症するものでないと認識されていた。
尤も、同四四年に釜石局電話交換手三名及び、同四六年に名古屋市外電話局電話交換手九名から頸肩腕症候群に罹患したとして業務上の認定申請があり、当時、右疾病が電話交換業務に起因するものとは到底考えられなかつたものの、電話交換作業に一部手指作業も含まれることから試みに、手指作業についてキーパンチャーの一人一日当りの取扱い数に換算してみたところ、その業務作業量は、右基準に照らし極めて少なかつたので、右申請については、すべて業務外の認定をしたのである。また、同四五年七月一日に労使間で「けんしよう炎等罹病者の取り扱いに関する了解事項」が締結されたが、その対象者は「検穿孔作業従事者及び電信電話運用従事者等で手指を中心とした疾病に罹患した者」であつて、手指作業者を対象としており、上肢作業である電話交換作業からは、当時、頸肩腕症候群が発症するとは考えられなかつたのであるが、電話交換業務にも一部手指作業が含まれるので電信電話運用従事者に含まれる電話交換手も一応了解事項の対象者に加えられたのである。右の経過からして、当時においては手指作業者の頸肩腕症候群の予防措置が労使間において話題とされたにとどまり、電話交換手の上肢作業による頸肩腕症候群の予防措置が労使間において話題とされたものではないのである。
そして公社が労働組合から初めて上肢作業に基づく電話交換手の頸肩腕症候群の予防対策等についての申入れを受けたのは、同四七年一〇月二日のことであり、国会で、電話交換手の頸肩腕症候群問題が初めてとり上げられたのは、同四八年二月二七日第七一回国会衆議院社会労働委員会における島本委員等からの質疑においてであつた。公社内の専門医が、電話交換手の作業と頸肩腕症候群との間にも関連性がないとはいえないとの意見を表明するに至つたのは、同四八年三月になつてからのことである。
次に、公社は頸肩腕症候群問題について、同四七年一〇月以降、その時時にとりうる予防対策、罹患対策を国に先がけてとつていた。第一審原告についても、同年四月二二日頸肩腕症候群の診断書が提出された以降、継続的に治療を受けさせ、かつ、業務量も軽減しているので、増悪防止の点についての義務違反がないことも明白である。
第三 証拠関係<省略>
理由
一請求原因1(当事者)の事実については、当事者間に争いがない。
二第一審原告の公社入社後の健康状態、症状経過
(一) <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
第一審原告は、昭和二六年の公社入社時には健康であつた(この点は当事者間に争いがない)が、同二八年には肋間神経痛を患い、頭痛、胸部の苦痛があり、同三三年から三六年にかけては、妊娠の度につわりが重く、妊娠中絶一回、妊娠中毒症一回、人工出産二回を経験した。同三八年には頭痛、目の疲れ、吐気などのため内科、眼科、産婦人科に受診し、同四〇年には虫垂炎の手術を受けた。同四三年七月ころ手首から肘にかけて突き刺すような痛みを覚えて指が使えなくなり、外科に受診したところリュウマチと診断され、約一か月半通院治療した。その間頸も動かなくなつたが、これは約一週間の治療で軽快した。同年六月ころから下腹部痛とともに生理が止まり、同九月末にはひきつるような下腹部痛を伴う性器出血があり、左卵巣部分切除の手術を受けて約五〇日間休業し、術後血管運動神経障害、起立性低血圧症が出たが、その後は生理も順調になり、体全体の調子もよくなつた。尤も、出勤後一か月で上肢浮腫、疼痛、息苦しさを覚えるようになり、受診して「冠不全」と診断された。同四四年三月流産した。手指が動きにくくなり、頸も動かなくなつて、注射や鍼の治療を受けた。同四六年、鉛筆の握れないことが屡屡あり、右手首の治療によく通つた。同四七年四月一日、通勤バスの中で居眠りをしていて急に頭がガクンとしてから、頭に火の走るような痛みを覚え、頸が動かなくなつて電気治療を受けたが、症状改善せず、同月二二日柳山診療所向井智志医師に頸肩腕症候群との診断を受けた。同月一八日から病休をとり、翌四八年四月一八日以降は休職とされた。尤も、公社における第一審原告の職員健康診断個人票によると、同三八年五月以前の公社での健康診断においては、第一審原告から特に健康上の異常・苦痛の訴えがなされた形跡は窺われず、それ以後においても、同三九年四月の健康診断の際に、健康管理医に「右下肢のしびれが時時ある」と訴え、「心音純、下肢浮腫なし、肺呼吸音異常なし」と診断され、同四〇年五月の健康診断の際「右下肢浮腫、特に午後あり」との訴えについて健康管理医より「心音、呼吸音とも異常なし」と診断され、同四一年一一月の健康診断の際、胃炎で治療中の旨健康管理医に連絡し、同四二年六月と一〇月の健康診断の際、偏頭痛を訴え、同四三年一一月の健康診断の際、心悸昂進症を訴えたが心音に異常はなく、同四四年一一月の健康診断で健康管理医に対し、心電図に病的所見があり、治療を受けている旨述べ、同四五年六月の健康診断では右腕関節炎を訴えたほかは、同四三年六月、四四年六月、四五年一一月、四六年一月、同年六月においても、特段の異常・苦痛を訴えた形跡はない。また、第一審原告が、同四五年四月三〇日公社に対し、居住地(転居)届とともに提出した第一審原告作成の書面(取扱者カード)には、健康状態「現在良好」の旨が記入されている。
第一審原告は、同四七年四月二二日前記向井医師に初診の際、「同年四月一日通勤バスで居眠り中、頸がガクンとしてから頸部痛、肩の痛みがあり、頸が回らない」と説明していたが、同医師の所見では、頸椎の生理的前彎減少以外に著変はみられなかつた。第一審原告は同医師に、頸、肩、腕、指、背中、腰、更には全身的に、凝り、だるさ、痛み、いらだち、ものわすれ、動悸、月経時痛、頭重感その他多様な症状を訴えながら、同年中は月二回程度通院して治療を受けた。以後、第一審原告は、全く受診しない月もあるものの、概ね、当初は月二回程度、次第に月一回程度通院して、向井医師から治療を受け経過している(同五三年四月からは同医師の紹介で要整形外科でも受療した)。同四七年九、一〇月にやや改善の兆しをみた他、症状は暫らくは一進一退で著変はなかったが、同五〇年四月ころから翌年三月ころにかけて第一審原告の症状の訴えは著しく軽減をみせた。しかし同年四月から九月ころにかけては再び症状の訴えが多くなり、その後増減の波を繰返しつつ、同五四年三月から五月ころには大幅に減少するに至つた。その間、同五〇年一〇月二八日からは勤務軽減(拘束四時間二〇分)の扱いで出勤したが、同五二年六月一六日からは再び欠勤休養するようになつた。同五五年七月(後記上畑医師診察)ころには、自覚症状は、ときどき肩が凝る、腕がだるいといつた程度のそれ程強いものではなくなつており、ほぼ治療を必要としない状態に恢復していた。同五七年五、六月ころには、月一回程度通院しつつ、半日勤務していて、手がしびれるような状態が翌日に残つたり、勤務が三日位続くと大儀に感ずるようなことがあるものの、従前に比し極めて楽になつた。そして現在、なお月一回程度医師に検査を受けているものの、忙しいとき肩凝りが出る程度の状態である。
(二) <証拠>中には、昭和四七年四月以前の第一審原告の自覚症状ないし症状の訴えについて、右認定のところを超える第一審原告主張に添う部分があるが、当時そのような自覚症状ないし症状の訴えのあつたことについては、他にこれを裏付けるに足るものがなく、また、「同四七年四月一日通勤バスの中で居眠つていた際頸がガクンとした」旨の事実に関する原審及び当審における第一審原告本人尋問の結果の変遷(第一審原告は、当審におけるその本人尋問の結果に至つて「バスの中で頸がガクンとした云云」は、職場で口にした冗談に過ぎないものであり、それを向井医師に述べたのみだとしている。しかし、<証拠>と対比して、右は到底措信できない)に照らして、右第一審原告主張に添う部分は、未だ採用するに足りないというべきである。
三第一審原告の症状に対する医師の診断、評価
(一) <証拠>によれば、第一審原告の前記症状経過に関しては、以下のような医師の診断ないし所見がある。
第一審原告は、新宮市の慶応堂病院において、昭和四三年九月二六日左卵巣出血、子宮後屈症と診断され、これにより前記のように左卵巣部分切除等の手術が行われ、同年一〇月二九日には右術後の起立性低血圧症、血管運動神経障害の診断を受けた。その後、同四七年四月一八日同市の日下外科医院荒木英医師から、頸部捻挫要加療一〇日と診断されたが、同月二二日には前記のとおり柳山診療所向井医師の頸肩腕症候群との診断があつた。なおその際、第一審原告の頸椎には右斜傾位がみられたが、該徴候は同年八月一九日の受診限りで消失している。更に、同四八年三月三〇日には、三重県立大学医学部附属塩浜病院の畑中生稔医師からも、頸肩腕症候群との診断を得た。同年八月六日向井医師は従前の診断を維持したが、同四九年二月二六日第一審原告を診察した中部労災病院の小菅真一医師は、軽度変形性頸椎症と診断し、次いで、同年七月一日、関西医科大学衛生学教室細川汀医師は、頸肩腕障害と判定した。向井医師は、同五二年六月から一二月の間にかけ、数次に亘り頸肩腕症候群との診断書を発し、その後もその判定に変更はない(但し、病名は頸肩腕障害とする)が、同五五年四月二五日東京女子医科大学名誉教授森崎直木医師は、第一審原告の症状は、主として変形性頸椎症によるものと推定される旨鑑定した。
(二) <証拠>を綜合すると、前記のような診断、判定もしくは鑑定における第一審原告の症状に対する各医師の見解ないし評価は次のとおりである。
(イ) まず向井医師は、初診時における第一審原告の自覚症状と、頸椎に軽度右斜傾位、後屈側屈時運動制限、運動痛あり、運動時雑音聴取、項部、肩、上腕に自覚症状に一致した筋緊張、圧痛を認める等の他覚症状、ホフマン、ホルステッド、容積脈波その他の諸検査結果、及びX線影像における「生理的前彎消失を認める以外著変なし」との所見等から、後記労働省通達七二三号「キーパンチャー等手指作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」の認定基準を満たすところの頸肩腕症候群であると診断した。そして諸症状については、整形外科的診察及び諸検査結果から、頸椎頸髄疾患、リュウマチ性疾患など労働省通達の解説中に列記されている諸疾患を否定したとし、電話交換手は女性にとつて特別の対策がとられるべき特殊の職種であり、かつ、第一審原告の職場においては、労働条件、労働環境がきびしく、電話交換手の健康破壊が広範に進んでいたとの前提のもとに、第一審原告の該症状は業務に起因するものであると認定し、のち、産業衛生学会の見解の立場に立つて、これを頸肩腕障害であると診断している。同医師によれば、昭和四七年四月一日バスの中で首がガクンとしてから頸筋が痛くなりだしたのではなく、症状はその以前からあつたこと、上肢を主とする運動器の障害のみでなく、下肢にも症状があること、X線所見による頸椎の変形は年齢相応の変化であるに過ぎず、そのような変形があるからといつて、必ずしも症状が出るとは限らないこと、第一審原告は同四七年四月から同五〇年一〇月まで休業し、同月から同五二年六月まで四時間勤務で出勤したが、同月から同五三年一〇月まで再び休業し、同月以降は半日勤務で出勤するようになつたところ、同女の皮膚温、脳波、背筋力、腱鞘炎等の状況は、その良否が右の休業期間、出勤期間と軌を一にしていること、初診時の所見から同五三年ごろにかけて、第一審原告の頸椎は、骨の変形としては明らかに悪化しているのに、症状としてはむしろ良くなつてきていること、などからして、第一審原告の症状が外傷性のもの、或いは加齢的変形性頸椎症に因るものであるとは考え難いとされる。
(ロ) 畑中医師の前記診断では、第一審原告の頸肩腕症候群は、職業に起因して発生したものであり、慎重な治療を必要とする旨判断されている。
(ハ) 昭和五五年七月九日第一審原告を診察した杏林大学医学部衛生学教室助教授上畑鉄之丞医師は、従前の頸椎X線写真の経過的な所見から、頸椎の骨棘形成と椎間狭小化は若干の進行がみられ、変形性頸椎症も認められるが、従前の向井医師の診察所見、労働組合のアンケート調査結果その他第一審原告の労働関係資料に診察の結果を併せると、第一審原告の症状は、業務起因性の頸肩腕障害であると診断した。同医師によれば、第一審原告の訴えるような症状は、頸肩腕障害以外にも発症しうるが、これを該症と診断したのは綜合的判定というほかないとしている。
(ニ) 名古屋大学医学部衛生学教室講師小野雄一郎医師、吉田外科整形外科吉田正和医師によると、第一審原告は昭和五九年から六時間勤務、同六一年三月から一日(八時間)勤務が可能になり、同年九月からは自主的に時折夜勤にはいることができるようになつたところ、小野医師が同六二年二月二五日に診察した際には、特記すべき所見を見出さなかつたし、同年三月時点で第一審原告自身も、疲れ易さをときどき感じるのみで、他に自覚症状はなかつた。但し、従前からの資料に照らすと、第一審原告は同四二年ころから既に症状が認められ、同四七年時点で、頸椎には生理的前彎の減少が所見されるのみであつたのが、同四九年二月以降は年齢相応の頸椎変形が見られるようになつているものの、頸椎変性が進行しているに拘らず、自覚症状、諸所見が徐徐に改善し、消失するに至つたことなどからすると、第一審原告の病像が頸椎変形に起因すると判断するのは妥当ではない。同女の健康障害は、慢性疲労の疾患としての頸肩腕障害の可能性が最も高く、そして遅くとも同四二年ごろから、初期の病像よりも進展した頸肩腕障害となつていた可能性が高い、としている。
(ホ) 小菅医師は、前記診察の際、第一審原告の僧帽筋部、斜角筋部左に病的といえない程度の圧痛と、頸柱X線所見で、軽度変形性頸椎症(年齢的変化)を認めたのみで、他に特段の他覚的異常を認めなかつたので、後記労働省通達五九号に準拠し、業務起因性の頸肩腕症候群としては「医証なし」と認定し、かつ、X線影像所見から変形性頸椎症は初期のもので、発症はX線写真撮影時(同医師の診察時、昭和四九年二月二六日)より一年以上前であると判断した(なお、同医師の見解によると、頸肩腕症候群には心因性の起因が考えられるとしている。弁論の全趣旨によりその成立を認める乙第二五号証の二によると、このような見解は、公社の研究委託を受けた医師らによる頸肩腕症候群プロジェクトチームにも見られ、後記石田医師の証言中にも認められる。
(ヘ) 森崎医師は、前記鑑定の理由として、第一審原告の疾病、症状は、それに関する従前の資料に基づくと、柳山診療所の初診時所見に、頸椎の生理的前彎の減少が認められること、その後昭和四九年二月二六日の中部労災病院受診時の所見では、頸椎に前彎の消失、骨棘の形式、椎間板狭小化、鉤椎関節の変化、椎間孔の狭小化がみられること、また、項部より肩、さらに肘から手関節、手指にかけての疼痛やだるさ、知覚障害、脱力、頸部の運動制限、僧帽筋などの頸肩部筋、上腕二・三頭筋などの上腕筋、更に前腕筋などの圧痛・緊張、上腕骨外顆圧痛などがあり、ひいては循環障害の生起から容積脈波、皮膚温の変化に及び、或いは、神経及び血管の圧迫肢位テストや神経伸展試験などの諸検査結果が陽性に出るなどは、加齢的変形性頸椎症においても一般に認められているところであることなどを挙げ、第一審原告が同四七年四月一日通勤バス乗車中頸をガクンとさせ、荒井医師に「頸部捻挫」と診断された点については、爾後の症状は、基礎的症状としての加齢的変形性頸椎症が頸部捻挫によつて増悪をきたしたか、頸部捻挫を誘因として、同時に両症が発現したかであろうし、X線上の頸椎の所見と神経的症状の対応が符合している点もあり、更に、第一審原告は加齢的変形の出る年齢としてもおかしくはなく、そして、該症は経過の永いものであるから症状が波打つたり、或る程度の治療、安静などで、軽快をみることもありうると述べている。
(ト) 日本医科大学教授石田肇医師は、昭和六〇年一〇月第一審原告の既往の資料を検討して、労働省通達五九号に拠りつつ、森崎医師とほぼ同様な所見と評価のもとに、第一審原告は明らかに頸椎柱に進行する退行変性変化があり、同女の長期間に亘る多彩な症状の素因をなす疾病は、変形性頸椎症であると推定した。但し、昭和四三年ころまでの第一審原告の多彩な愁訴は、主として婦人科系疾患を基とした自律神経失調症に伴う不定愁訴として納得できるものであり、また、変形性頸椎症が業務に起因して生ずることはあり得るが、電話交換手のような仕事で同症が発症することは、医学的な常識から考えて起り得ないとして、第一審原告の変形性頸椎症における業務起因性を否定した。
四ところで、右認定のとおり、第一審原告の症状に対する医師の評価、診断は凡そ二様の見解に対立しているというべきところ、<証拠>に照らすと、その対立は、偶偶第一審原告の個個的な所見や症状に対する知見、判断が相異した結果からではなく、むしろ両者の基本的、大局的な医学観の相違に由来しているもののように窺われる。即ち、一は産業衛生学会の見解に基づき、謂はば疫学的、社会医学的観点において、通達五九号を不合理不適切と指弾して、第一審原告の症状を頸肩腕障害と判断する立場であり、他は、整形外科学会の意見に立ち、臨床医学的視点において通達五九号(通達七二三号を改正したもの)に準拠して第一審原告の症状は加齢的変形性頸椎症であると診断し、頸肩腕症候群とは認めない立場である。なお、右労働省通達の内容及び性格、公社と全国電気通信労働組合(以下全電通労組という)との間でも右通達に依拠すべき旨の了解があつたこと、及び日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会による「頸肩腕障害」なる診断名の提案とその定義並びに病像分類については、この点に関する原判決の理由説示(原判決八六枚目裏七行目から八九枚目表末行まで)のとおりであるから、ここにこれを引用する。また、前記通達五九号は、<証拠>によると、昭和四八年三月労働省内に斯界の専門家からなる専門家会議を設置し、日本産業衛生学会の研究報告その他の文献等も広く参考として検討し、同五〇年一月同会議において結論せられたところに基づいて発せられたものであることが認められるから、もとより、右は行政官庁としての業務上災害の認定を行うに当り、画一的かつ迅速に判定し休業補償等を行う基準として出されたもので、職業病に基づくものとして提起された損害賠償請求訴訟において、業務と疾病との間の因果関係の有無を判断する場合の認定基準として拘束性を有する筋合のものでないし、他面、前記のように産業衛生学会の立場からする批判も存するものではあるとしても、公的機関において、斯界の専門家の医学上の研究討論の成果を集約した見解として、第一審原告の症状の業務起因性存否の判断上、十分参酌依拠するに足るものというべきである(但し、通達の認定基準中、業務量の過重又は大きな変動を要件とする部分は、比較の基準をどのレベルに置くかに問題がないではないと思われるが、その点は作業量と体力の不均衡から疾患が発生したと認められれば足る趣旨と解し得ないでもなく、この一事をもつて通達を参酌するに堪えないものとすべきではない。また、通達当時から存する謂はば学問的立場を異にする産業衛生学会の見解よりする批判・攻撃を除いては、本件証拠上、時間的経過のため、右通達が陳腐化したとの事実を窺わせるに足るものもない)。尤も、問題は第一審原告が頸肩腕障害か、頸肩腕症候群かにあるのではなく、要は第一審原告の症状が、その電話交換手たる業務に起因するかどうかにあるのであるから、以下この点につき検討する。
五(一) 前認定の事実からすると、入社後昭和四五年ころまでの第一審原告の健康異常ないし体調不調は、肋間神経痛、虫垂炎、リュウマチ、冠不全、重いつわり、妊娠中絶、流産、妊娠中毒症その他の婦人科疾患等に基づくものである疑いが強く、そのときどきの症状も、これら病患の治癒ないし恢復とともに軽快したものと認められ、少なくとも第一審原告がこれら病患の治療の他に、なお、愁訴をもつて受療したとの医療機関の記録等も存せず、また、これら病患は、いずれも第一審原告の後記作業態様からみて、これに偏えに原因するものとは容易に推断し難い性質のものであることも思うと、その業務起因性を認め難いものというべきである。
(二) 第一審原告の電話交換手としての作業内容、及び第一審原告の担当服務の勤務体制の概要は、この点に関する原判決の理由説示(原判決八五枚目表七行目から同八六枚目裏五行目まで)のとおりであるからここにこれを引用する。
(三) 第一審原告は、公社の電話交換従事者中における頸肩腕障害罹患者は、昭和四五年以降急激に増加の傾向を辿つたが、右は公社の合理化による労働条件の悪化、労務管理の強化、労働環境の劣悪に因るものであり、第一審原告の勤務する熊野局は同症罹患者の多発職場であるが、同局において、公社から頸肩腕障害として業務上の疾病であるとの認定を受けた同僚須崎ちえ子らの症状と、第一審原告の症状はほぼ共通していること、第一審原告の症状が休業中に回復傾向を辿り、就業すると増悪に転じ、再休業によつてまた改善するというように、明らかに業務との相関関係が認められること、向井医師ら四名の医師が、第一審原告の症状の業務起因性を認めていることなどからして、第一審原告の症状は頸肩腕障害であり、業務起因性のものである旨主張する。そして、<証拠>中には、熊野局における電話交換手らの労働条件、労務管理、労働環境がきびしいものであつたとする右第一審原告主張に添う部分があるが、<証拠>に対比すると、これら部分をすべてたやすくは採用し難く、その主張する程に労働条件、作業内容が強度で、労務管理がきびしく、労働環境が劣悪であつたかは疑問なしとしない。のみならず、<証拠>に照らすと、業務の繁忙度や勤務年数の長さは必ずしも頸肩腕症候群の発症と相関しないことが認められる。また、<証拠>によると、第一審原告代理人は、熊野局で頸肩腕障害として業務上認定を受けた同僚交換手須崎ちえ子、下川京子、弓場宏子、大西いほ子、三宅とみ子、岡本和代らの症状と第一審原告の症状を対比した「症状一覧表」を作成したが、これによつても、両者の症状は必ずしも共通類似といえないばかりか、右同僚交換手らの各症状も、医療機関における診療録等の記録に基づいたものとは認められないから、対比の基礎の正確性、信用性に疑問がないとはいえない。更に、休業すれば軽快に赴き、就労すれば増悪に転ずるのは、疾病一般の傾向であるから、その故に当該疾病が業務に起因して発症したものとは当然はなし得ないというべきであるうえ、<証拠>に照らすと、第一審原告の症状の軽重は、必ずしもその休業、就業と軌を一にしていないところも認められる。
そこで右のような考察に、前記三、(二)の第一審原告の症状に対する各医師の評価、見解を併せ綜合勘案すると、昭和四七年四月当時の第一審原告の症状には、一面において頸椎捻挫の関連する加齢的変形性頸椎症に因るものがあると認むべきであるが、他面において業務起因性の頸肩腕症候群に該当するところがあることも否定し難いというべきであつて、本件証拠上、その病患のいずれが強勢であつたかは、にわかに判定するに足るものがないことからすれば、結局その症状には、両方の疾患が相半ばして競合していたものとみるのが相当である。そして、前認定のように、小菅医師が頸椎X線所見から、変形性頸椎症の発症を同四九年二月時点より一年以上前であると判定していること、同四五年ころまでの第一審原告の症状には業務起因性を認め難いこと、前掲前田証言によると、同人が熊野局の運用課副課長として在勤した同四四年二月から同四七年二月までの間において、第一審原告は医師の診断書を要しない二日以内の欠勤(病休)が比較的多い方であつたが、その欠勤理由は頭痛、感冒、腹痛等であつて、頸、肩、腕、手指等の症状の訴えを耳にしたことがなく、これら症状を病休の継続的な理由としたこともないことが認められることを綜合して考えると、その発症は概ね同四七年四月ころと解するのが相当というべきである。また、前認定のように、第一審原告の症状は、同五五年七月ころには、ときどき肩が凝る、腕がだるいといつたそれ程強くない程度の自覚症状のみで、ほぼ治療を必要としない程度に恢復していたこと、再度の休業を経た同五三年一〇月以降、順次四時間勤務、六時間勤務、通常(八時間)勤務、夜勤等の服務を続けながら、現在は忙しいとき肩凝りが出る程度であることからみると、少なくとも同五五年七月以降残存している症状は、変形性頸椎症の影響によるものとの疑いが強いというべきであり、右時期以後の症状に業務起因性は認め難い。結局、第一審原告の症状のうち、頸肩腕症候群として業務起因性を認め得るものは、同四七年四月ころから同五五年七月ころまでの症状であり、但し、そのうち半ばは併存競合する変形性頸椎症に基づくものであるということになる。
六(一) ところで本件においては、公社の安全配慮義務について、その業務内容の特定並びに違反該当事実の主張立証責任の所在が、当事者間で争われている。確かに、債務不履行の問題において、その債務が何であるかを主張立証するのは、債務不履行を主張するものの当然の責任であるから、安全配慮義務違反を主張するものは、その義務の内容を特定主張すべきであり、かつまた、ことがらの性質上右義務違反に該当する事実を主張立証する責任があると解するのが相当である。しかしながら、前記(原判決引用=同一九枚目裏七行目から二五枚目表二行目まで)のように、第一審原告は、公社が昭和三九年当時既に頸肩腕障害の多発を予想し得たものであり、その有する病院医師により、労働安全衛生法に則つた健康管理(健康診断等)をすべき義務があつたのに、一般検診をしたのみで、頸肩腕障害に関して公社の健康管理規程による問診すら行わず、その結果同障害に対する対応が全くなされず放置された旨、また、労働密度、労働条件を軽減し、労働環境を改善すべきであつたのに、作業量が増加しても交換手を増員しないとの方針のもとに合理化を実施して何らの軽減改善措置を執らず、交換手に対する十分な健康管理を尽して、頸肩腕障害の予防・早期発見に努め、発症者に対しては早期かつ最善の治療を受けさせるべきであるのに、病状進行防止、健康回復に必要適切な何らの措置をも講じなかつた旨、更には、前記事実らん第二、四、8、9記載のとおり主張しているのであるから、これをもつて第一審原告としての債務不履行、安全配慮義務違反の主張は足るものというべきである。
(二) <証拠>によると、昭和四三年八月全電通新聞に、岩手県釜石局の電話交換手に同四二年六月ころから頸肩腕症候群の症状を訴えるものが少なからず生じていることが報じられ、同年九月全電通労組岩手県支部大会においても、同組合釜石分会から右事実に基づいて公社にその対応を要求することが提案されたこと、同四二年一一月には神戸市外電話局で、交換手に頸肩腕症候群に罹患したものが出、同電話局長から勤務軽減が発令されていること、広島大学名誉教授小沼十寸穂医師は、同四五年発表した論文において、電話交換手に発生した頸肩腕症候群に、業務起因性のものがあることを指摘していること、全電通労組は、公社の職場において同四三年三九名(内電話交換手二二名)、同四四年六八名、同四五年一一五名(内電話交換手七七名)の頸肩腕罹患者が発生したものであり、このような状況は放置できないとして、同四五年六月頸肩腕罹患者について、組合が同三九年公社との間で確認した腱鞘炎罹患者に対する扱いと同様の取扱いをすることを公社に要求し、同年七月一日組合と公社との間で、その旨の「けんしよう炎等の病者の取扱いに関する了解事項」を締結したことが認められる。そして、公社の規模と組織に照らせば、労働組合で頸肩腕症候群の発症が問題とせられている事実やその情報、同症の原因や業務起因性に関する専門家の学術的論文等は、公社において当然了知していたものと推認されるから、そうすると右認定の事実関係に鑑み、公社は遅くとも同四五年七月ころには、頸肩腕症候群には業務起因性のものが存し、今後とも公社の稼働現場において、就中電話交換手につき、相当数発生するかも知れないことを予見し、或いは、少なくとも予見しうべきであつたものというべきである。同四八年ころまで右発症の予見可能性がなかつたとする第一審被告の主張は採用することができない。
(三) <証拠>を綜合すると、公社においては昭和四七年夏ころから頸肩腕症候群罹患者が可成り増えてきているとの情報により、その全国的状況を正確に知る必要があるとしてその全数調査をした結果、罹患者数は二四〇ないし二五〇名位であると把握したこと、同年一〇月全電通労組から公社に対し、頸肩腕症候群対策についての要求が提出され、団体交渉等を経て、同年一二月にこれについての労使間の協約が締結されたこと、その結果、(イ)電話交換職の採用時検診においては、同四八年以降頸肩腕症候群についての問診、頸運動及び筋力等の検査を実施し、(ロ)電話交換業務に従事している職員に対しては、同四八年度以降定期健康診断の際に、前同様の問診、頸運動及び筋力の検査を実施し、(ハ)同年九月からは頸肩腕症候群についての定期診断を実施し、(ニ)予防措置としては、職場段階で組合側から具体的に問題提起があれば、安全衛生委員会の場で取扱うか否かを含め誠意をもつて対処することとし、(ホ)同症に関する公社指定病院に新たに国立病院等を追加指定し、(ヘ)電話交換業務に相当な期間継続して従事した職員で、公社指定の医療機関で頸肩腕症候群と診断され、かつ、要健康管理者としての指導を受けている者については、勤務時間内の通院、特殊な医療費の公社負担等につき、必要に応じて適宜の措置を行い、(ト)休職となつた者の休職期間中の賃金についても特別の支払いをする、その他の対応措置がとられたこと、一方、公社はその社内医療機関である関東逓信病院の専門医を中心としたプロジェクトチームに頸肩腕症候群に対する医学的見地からする病像、病態、病因、対策、予防措置等の検討を委託し、その答申の結果に添つた医療上、労務上、保健上の綜合的網羅的諸対策を鋭意推進したこと、公社における頸肩腕症候群の罹患者発生数は、同四九年を機として著しく減少したこと、以上の事実を認めることができる。そして、同年以後の罹患者数の著減は公社が同四八年以降前認定のような諸種の対応措置、対応策を執つたことの綜合的効果に因るものと推認されるところ、公社が同四五年当時において、右対応措置等を執り得なかつたとする事情は本件証拠上何らこれを窺うに足るものがないから、公社はその当時、前認定の頸肩腕症候群発症の予見に基づいて、疾くこれらの措置等を執り得た筈のものであり、かつ、遅くとも第一審原告の発症少し以前の時期までにこれを執つていれば、同四八年の各措置実施後発症が著減した点に照らしても、第一審原告の症状中業務起因性の頸肩腕症候群はその発症を防止し得たか、或いは少なくともその病勢と症状をより軽度に終らせ得た蓋然性が極めて高いものというべきである。第一審被告は、頸肩腕症候群は未だ医学的に解明されておらず、対策のとりようもなかつたと主張するけれども、未だ十分に医学的解明がなされていなかつた事情は、公社が対応措置を執つた同四八年ころにおいても同四五年ころと何ら変るところはなかつたのであるから、右主張は採用できない。そして、右に鑑みれば、発症の予見可能であつた同四五年当時において前記のような対応措置、対応策に出なかつた公社の債務不履行、義務違反は明らか(これに対し、同四七年四月以降、公社は、後記認定のように第一審原告の就業或いは休業につき、勤務軽減その他特別の措置をとつていることが認められることからすれば、右時期以後の公社の症状増悪防止義務違反は認め難い)というべきであり、公社は第一審原告の症状中、業務起因の頸肩腕症候群によつて第一審原告が受けた損害につき、これを賠償する責任があつたというべきところ、第一審被告は公社の一切の権利義務を承継したものであるから、右賠償の責に任じなければならない。
七前認定のような第一審原告の症状中、業務に起因する頸肩腕症候群の割合、程度、その罹患期間とその間における受診、受療の状況、症状経過と軽快の過程、また<証拠>によれば、公社は第一審原告に対し特別措置を適用し、一般私傷病患者より有利な扱いをし、症状に応じた勤務軽減も行つてきていることが認められること、第一審原告は、内部規程に則つた再審査請求の方途をとり得たのにも拘らず、そのための公社指定病院での受診を拒否してあえて右方法によらなかつたが、これが第一審原告の症状の業務上認定を妨げる原因の一となつたと思われること、その他本件証拠上認められる諸般の事情を斟酌すると、第一審原告の精神的苦痛に対する慰藉料の額は、金一二五万円とするのが相当である。
八弁護士費用は金二五万円をもつて相当と認めるところ、その理由はこの点に関する原判決の理由説示(原判決九七枚目裏八行目から同九八枚目表三行目まで。但し同一行目から二行目にかけての「本件は」の次に「第一次的には」を加える)と同一であるから、ここにこれを引用する。
九そうすると、第一審被告は第一審原告に対し、金一五〇万円及び内金一二五万円に対する本訴状送達の日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和五一年五月二七日から、内金二五万円に対する本裁判確定の日の翌日から(弁護士費用については支払期の主張立証がない)、各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべきであるから、第一審原告の本訴請求は、右限度で理由あるものとしてこれを認容し、その余を棄却すべきものである。
よつて、第一審被告の本件控訴を棄却することとし、第一審原告の控訴に基づき原判決を主文のとおり変更し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九五条、八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官黒木美朝 裁判官西岡宜兄 裁判官谷口伸夫)